終わった恋に対して、
女性は次の恋が始まったらすべてを忘れ、
男性はいつまでも忘れられないもの。
というのが定説になっているけど、本当にそうでしょうか?
まず、男と女というだけで繊細な感情の部分を分けられるのでしょうか?
これからの世の中は、ますます個性や個人の感じ方を重視するようになるので、こういう説を信じていては、あっという間に時代遅れな感性の人になるのでは、と思います。
その上、この説は、クヨクヨを正当化するとても危険な説だと思っています。
別れた人、ましてや大好きだったのに振られた人のことを思い出して、悲しい気持ちになったり、自分が幼かったせいでヒドイことを言って傷つけてしまったことを悔やんで苦しい気持ちになったり、そんな記憶は老若男女みんな持ってるのではないでしょうか。持っている人の方が多数派だと思います。
だからもし分類するなら、その感情を乗り越えて進んでいる人と、乗り越えられないで立ち止まっている人、でしょう。
ましてや人前でいつまでもクヨクヨする人は、その感情をコントロールできない苦しさを周りの人で発散しているのです。自分の人生だけに起きた悲しい物語だと思っているのかもしれません。
これは親子関係にも当てはまります。親からの無神経な言葉や、感情的でヒドイ態度に傷ついていない人の方が少ないのに、自分だけが悲しい思いをしてきたと誤解しているのです。
カッコいい大人や何かで成功している人で、いろんな感情を乗り越えてない人はまずいないのだけど、幸せに生きている人の人生には、幸せなことしか起きてないと誤解しているのかもしれません。
今のクヨクヨを乗り越えられない人は、次のクヨクヨも乗り越えられないのです。
だからずーっとクヨクヨしていて、あんな説を聞くと安心してしまうのでしょう。あの説はクヨクヨが乗り越えられなかった人が作って、クヨクヨが乗り越えられない人に支持されているようにも感じます。
起きた出来事にどんな意味をつけて、どんな解釈をするのかは、すべて自分で決めれるのだから、どんな感情になるかは全部自分で選ぶことができるのです。
だから人生は思い通り٩(^‿^)۶
感情の選び方を身につけた時に幸福力もアップし、クヨクヨの対処の仕方がわかることで、気持ちも強くなるので今までより仕事もできる人になっていきます。
人生ですべての条件が最高に揃う時はないのに、目の前のチャンスもいつものクヨクヨに奪われてしまっていいのでしょうか?
クヨクヨしている若い人に会うと、若い時間は短いのにもったいないな、中年になった時に、過ぎ去った時間を思ってきっとクヨクヨするんだろうなと思ってしまうのです。
歳をとって動けなくなってしまう前に、限りある命をダイナミックに生きてみませんか?^ – ^